【古賀はこがんとこばい 】「古賀史跡案内ボランティア」主催の古賀史跡探訪で南部地区の史跡を巡る⑨鹿部山

平成31年5月18日(土)に開催

5 鹿部山

かつては「東の峰」・「中の峰」・「西の峰」の三つの峰がある三山。昭和46年から始められた花鶴ケ丘団地の造成によって「東の峰」と「中の峰」が削られ、現在は標高63mの「西の峰」が残されています。
残された鹿部山「西の峰」
団地造成前の調査の際、「中の峰」の山頂から石の容器に入れられた経筒が発見されています。
「鹿部山経筒の碑」と説明板
この経筒は「鋳銅製有節経筒」と呼ばれる直径10cm、高さ26cmほどの銅製で、中の経典は炭化していたようです。
経筒の表面には錐の様な尖った道具で「席内院」「父々夫峯」「金主吉野常元」「願主僧良意」「永久元年十一月八日」(1113、平安時代)などの文字が刻まれていました。
鹿部山の展望所から見た眺めると

寄稿者

【記事を書いた人】
初代編集長 戸田 ハイパーローカルメディア古賀すたいるの編集長をやってます。 古賀に特化した、古賀の人の役立つ情報を発信しながら、 市外の方にも、古賀の魅力を伝えて、しってもらいたいと思ってます。 読書会、手帳カフェ、まわしよみ新聞を定期的に開催してリアルとも つながる、場づくりを実験中。現在は大阪在住。 【趣味】読書。有川浩から紫式部まで。ライフハック系までなんでも読みます。 【好きな言葉】出会いは偶然、恋は必然。

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