第10回 「古賀郷土史研究会」地名由来シリーズ 【鹿部】

三つ峰の頃の鹿部山(古賀市立歴史資料館展示)

鹿部山経筒の碑

 

昭和43年の航空写真(古賀市立歴史資料館展示)

「鹿部」(ししぶ)

① 鹿部山(中の峰)の山頂から発見された平安時代の経筒には「永久元年(1113)筑前国席内院父々夫峰」。
豊臣秀吉の時代、小早川隆景の時には「志々部村」、江戸初期には「志々符村」、「志々戸村」など,元禄5年(1692)には「鹿部村」と記録される。

② 平安時代は「父々夫」と書かれていて、「チチフ」と呼ばれていた。「チチ」は「縮む」、「フ」は節の意と考えられる。昔の鹿部山は三つの峰をもつ山で、小さく波打つ形の山の様子を地名にした。

③ 地崩れを表す用語として「シシ」があり、「鹿・宍」の字が当てられている。鹿部山には特徴的な三つの峰をもつ山で、昔の人は地崩れしやすい危険な場所だと知っていたのかもしれない。

※ 詳しい内容は「古賀郷土史研究会」ホームページをご覧ください。

※ 「古賀郷土史研究会」ホームページ
(https://sites.google.com/view/kogalh)

 

地図(Googleマイマップ「古賀の地名由来」を作ってみました

 

【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。

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