平和への思いを、標語やキャッチコピーに。北方領土の早期返還と、平和を望む声を、古賀から広げていきませんか。

1945(昭和20)年6月23日。

第二次世界大戦における旧日本軍による組織的戦闘の終結から74年。沖縄では、毎年6月23日を、太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者らを追悼する「慰霊の日」として、多くの方々が平和と鎮魂の祈りをささげています。

その1年前の
1944(昭和19)年6月19日には、「マリアナ沖航空戦」が。

いまはリゾート地となっているマリアナ諸島(グアムやサイパンなどを含む)の沖合では、日米の海軍の機動部隊が激突。日本軍の惨敗に終わり、その後、このマリアナ諸島から飛び立った爆撃機が日本本土を襲い、福岡大空襲や長崎・広島への原爆投下につながり、日本本土が焦土と化しました。

この航空戦では、その後の日本を支えてくれるはずだった優秀な若者たちが、たった2日で3000人以上も戦死。そして、沖縄戦はじめ各地の空襲、「対馬丸」に代表される疎開中の船への魚雷攻撃などで、子どもたちも含めて多くの市民が命を落としています。

この6月にこそ、平和への思いを、古賀からも大事にできたらいいなと、執筆者の個人的な思いとして浮かびます。

古賀は空襲こそなかったと聞いていますが、戦地に送るための軍需物資を作る工場群が戦前から立地。そこに暮らし、懸命に働いた方々が、今の古賀の反映の基礎を築きました。また、郷土史「米多比の戦記」や「古賀町史」などを紐解くと、古賀(当時の青柳村・小野村・旧古賀町)からも多くの若者が出征し、そして、命を戦地で落としている記録が残されています。

同じ歴史は、繰り返したくありませんね。

そんな思いで、古賀市内でもいろいろな取り組みが行われています。「古賀市少年の船」のみなさんも、沖縄戦の伝承や鹿屋の特攻基地の見学などの「現地に行くことでしか学べないもの」を振れる機会を子どもたちに作るべく、地道に活動を続けて今年で30周年。おめでとうございます!

ここまで読んでくださった読者の皆さんも、もしかしたら「私にも何かできるかな?」と思ってくださったのでは…。そんなあなたに朗報です。

一人一人の平和への思いを、古賀から届けよう

戦争は、日本列島の南だけではなく、北のほうでも行われています。北方領土といわれる、我が国の固有の領土。北海道の択捉・国後・色丹・歯舞の各島々。

独立行政法人 北方領土問題対策協会」さんのほうで、国民全体で北方領土返還に向けた国民運動になるようにと、キャッチコピーや標語の募集が始まりました。

北海道の道東に連なる択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土は、我が国固有の領土です。しかし、第2次世界大戦の終了直後、ソ連(現ロシア)に占領され、現在も法的根拠のない占拠が続いています。私たちは一日も早い北方領土の返還を求めています。

北方領土問題対策協会では、北方領土について、国民のみなさんに広く認識してもらい、北方領土返還の気運を高めるため、「北方領土に関する標語・キャッチコピー」を以下のとおり募集します。 北方領土をアピールする自由な発想で標語・キャッチコピーを考えていただき、みなさんお誘い合わせの上、奮ってご応募ください。

たくさんのご応募、心よりお待ちしております。

関係する団体宛にいただいた募集要項によれば、多くの方々から集まった標語・キャッチコピーは、ノベルティグッズなどに掲載されるとのこと。あなたの思いが全国に伝わるチャンス?

それだけではなく、多くの方が応募に参加することにより、北方領土の早期返還と、平和へ向けた交渉が加速化される気運づくりにつながります。

みなさんの平和を願う思い、標語・キャッチコピーの応募で実現しませんか。
古賀から、平和への思いを、広げていきませんか。
先人の歩んだ苦難の歴史を継承しながら、明るい未来をめざして。

【記事を書いた人】
千鳥足 大人の事情で、顔出しNGでしたが、いったん解禁しました。けど気が変わってやっぱり顔出しNGに戻る。 徳島県生まれ・福井県育ち。幼稚園から高校まで古賀にいたあと、茨城とか東京とか長崎とかで過ごしたのちに古賀にUターン。 趣味: 読書。遠藤周作とか吉村昭とか阿川弘之・阿川佐和子とかが好き。 お酒飲むのも大好き。

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