【古賀はこがんとこばい 】「古賀史跡案内ボランティア」主催の古賀史跡探訪で南部地区の史跡を巡る⑧鹿部田渕遺跡

(平成31年5月18日(土)に開催)

古賀市の政治及び経済などの中心は、現在は海側に近い国道3号・JR鹿児島本線・国道495号の周辺ですが、これらの道路等が整備される前は内陸部の唐津街道青柳宿周辺。

その前の古代官道の時代には席打駅が置かれた(場所未特定)付近。
さらに遡ると6世紀中頃から7世紀初頭に使われた、古代の役所的な建物群で、潟港を管理する施設と考えられている「鹿部田渕遺跡」がある鹿部周辺だったようです。

4 鹿部田渕遺跡

平成11年の鹿部土地区画整理事業に伴い発掘調査が行われ、一般の集落とは異なる役所的な施設の大型建物や倉庫群が確認されています。

鹿部田渕遺跡と「堀川」などの位置関係

この遺跡は、出土した土器が6世紀後半のもので、建物の配置等から7世紀奈良時代の役所跡の特徴とも違うことから、奈良時代以前の遺跡とされています。

鹿部田渕遺跡から見た鹿部山(西の峰のみが残る)

当時、鹿部田渕遺跡付近一帯は、花鶴川河口から流れ込んだ海水によって海面が広がり、小舟が交通手段となっていたと考えられています。

「堀川」の名前が見られる「堀川公園」

「日本書紀」には、「磐井の乱」(528)に「筑紫の君磐井」の子の葛子が「糟屋屯倉」を献上したというような記述があります。糟屋郡に所在する鹿部田渕遺跡が海に近く、役所跡・倉庫跡などが発見されたことから、この「糟屋屯倉」の候補地ではないかと新聞報道されました。

建物の柱位置を示してあり、建物の規模と向きが分かる「みあけ史跡公園」

現在は、「みあけ史跡公園」として公開されています。

施設情報

施設名みあけ史跡公園
所在地古賀市美明1丁目25−1
TEL092-940-2683
利用可能時間8時〜19時
閉館日
Webサイト
駐車場4台
地図

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【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。

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