【古賀はこがんとこばい 】「古賀史跡案内ボランティア」主催の古賀史跡探訪で南部地区の史跡を巡る⑦ 皇石神社

皇石神社

皇石神社、まだまだいろいろなものが埋まっている?

創建は、兵火などで記録が失われたのか?不明。
残された棟札によると、享禄3年(1530)に社が再建されていて、当時は「大石大明神」と呼ばれていたようです。

御神体は高さ2.5m幅2m厚さ50cmの平らな石で、この大石は社殿の下に納められていると伝わります。
皇石神社の周辺一帯からは弥生時代の甕棺が数個出土していて、この御神体の大石は甕棺の上に置かれていた支石墓の上石と考えられているようです。

この大石には、「神功皇后が新羅出兵の時に鹿部山に登り、帰りに大石を見ると、新羅に勝利することができるならこの大石を起こすことができるだろうと祈願し、大石を起こすと直立したという。」という伝説があります。

明治31年(1898)、「皇石神社」の社殿裏から甕棺が発見され、その中から細形銅剣と細形銅戈が出土しています。当時、細形銅剣は調査のため東京大学へ移されましたが、現在は行方不明。神社神宝となっていた細形銅戈は、現在は古賀市歴史資料館に展示されています。

花鶴3号公園、この付近を含めて花鶴川にかけて一帯は、弥生時代は水田だったとか?

周辺には、東町遺跡、浦口・唐ケ坪古墳群等多くの遺跡が存在していて鹿部山遺跡群と呼ばれ、ここが周辺の王墓であったともいわれます。

古賀市案内マップ

施設情報

施設名皇石宮
所在地古賀市美明1丁目25−1
TEL
利用可能時間
閉館日
Webサイト
駐車場
地図

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【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。

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