「古賀PICK UP」で「古賀」を歩く 「筵内」編【古賀はこがんとこばい】

古賀市観光協会作成の「古賀PICK UP」 「筵内」(むしろうち)

(諸説ある)

筵内

筵内(むしろうち)は、古代には官道の席打駅(延喜式)が置かれたといわれ、後には旧唐津街道が通り多くの人や文物などが行き交った地域。

菜の花の道(2019年3月8日撮影)

 

「むしろうち」の書き方も「席打」、「席内」、「莚打」、「筵打」、「莚内」、「筵内」などと変遷してきたようで、「席」(むしろ)は古来からの生活必需品でもあり、「席打」は「席」を打つことを業とする人であることから、地名の「むしろうち」は職人席打に由来するとの説(昭和62年度歴史講座「古賀の昔と今」講師古賀町文化財調査員長崎初男)があります。

(参考)10世紀の「倭名類聚抄」では、竹製のものに「筵」、こも製のものに「席」の文字を当て、材料により異なる漢字を用いていたようです。

また、正徳2年(1712)の「和漢三才図絵」には、藁筵(わらむしろ)は農家で最も多用される敷物とあります。

筵内遠景(2019年3月撮影)

古来から人々が活動していて、鷺白山の北にある「熊野神社」の神武天皇にまつわる「御腰掛石」と神功皇后にまつわる「鷺白山」や「筵内」の名の由来、弘法大師(空海)にまつわる大根川伝説などが伝わる地域。

今回は、この「筵内」を歩いて巡ります。(つづく)


須賀神社前、旧大根川河道(2017年11月撮影)

筵内の何処か(2017年11月撮影)

平成30年3月古賀市作成の「国史跡船原古墳保存活用計画」(13ページ)の「歴史的資源図」

JR古賀駅舎掲示の「古賀市案内マップ」

西鉄市内バス路線図

 

【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。

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