古賀はこがんとこばい「古賀PICK UP」で「古賀」を歩く 「筵内」編  その2 医王寺

参道と山門

医王寺

旧唐津街道から見た医王寺。中央に山門と本堂、左側に秋葉神社(秋葉権現堂)。一番左端に見えるのは北崎雄山智英居士碑。

旧唐津街道の青柳宿から畦町宿へ至る途中、筵内の東部の医王寺山の中腹にあります。
戦国時代に九州随一の名将として名高い立花道雪・宗茂親子の帰依を受け、立花氏と深い関わりがあった寺といわれます。

駐車場から見た医王寺、左へ進むと山門へ上る参道がある。

医王寺縁起などによると、養老2年(718)、行基菩薩が創立。本尊は行基作と伝えられる薬師如来像。開基は宗像大領の宗像秋晴で、子秋足の若死を悲しみ菩提のため建立。
文安2年(1445)、中興開山芳庭融菊和尚が鞍手郡の丹鳳山瑞石寺から入寺し、曹洞宗に改め医王寺と称する。
天正2年(1574)、中興開基8世緒庵彰序和尚の代に戸次丹後守鑑連が立花城主となり、菩提寺とする。戸次鑑連は、後に剃髪得度し道雪と号する。
一時は末寺寺院21か寺に及んだが、立花宗茂が柳川に転封され、2代立花忠茂の代に黄檗宗(福厳寺)に転宗すると、末寺が荒廃する。
「福岡県地理全誌」によると,明治初年には薬王寺東前寺・小山田長勝禅寺など4か寺が末寺。

 

参道と山門

山門兼鐘楼は明治31年(1898)に建立。

本堂
本堂側から見た山門

本堂は大正13年(1924)に改築されたが、昭和28年(1953)の山津波により全壊し、寺の資料、寺宝など貴重なものが多数紛失する。
昭和33年(1958)に本堂が再建される。
といった歴史があるようです。

「筑前國続風土記」醫王寺の項(貝原篤信著)や「筑前国続風土記拾遺」巻之42 裏糟屋郡 下 筵内村の項にも、医王寺のことが記されています。(つづく)

医王寺から見る筵内の菜の花畑。菜の花畑の手前が旧唐津街道(2019年3月撮影)

施設情報

施設名医王寺
所在地福岡県古賀市筵内544
TEL092-942-3910
利用可能時間
閉館日
Webサイト
駐車場あります
地図
【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。

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