【古賀はこがんとこばい】「古賀の民話と伝説の地を訪ねて」(その7)五所八幡宮 

名前の由来にまつわる話


五所八幡宮は、青柳にある市内随一の大社。
境内の碑には、神功皇后が三韓御神幸の砌り、竜輿を休められた所。
應神天皇・神功皇后・玉依姫命・保食神・墨江三前神の五柱を祭ることから五所八幡宮と称する。

戦国時代の名将、立花城主の立花道雪は崇敬の念篤く、天正十一年(1583)に社殿を造営寄進した。
歴代の黒田藩主の尊崇も篤く、参勤交代の都度必ず社参、二代忠之は社殿を、六代継高は神殿を、十一代斉溥は拝殿を造営寄進した。

などの由緒が記されている。

藩政時代は「鷹野神社」と呼ばれていた。
ある日、黒田藩第二代藩主黒田忠之(1602~1654)が狩りをしたところ、大変可愛がりよく馴れていた鷹が、飛んでいったまま帰って来なかった。

黒田忠之は心配して、家来を方々へやって探したが、どうしても行方が分からなかった。そこで、黒田忠之が、五所八幡宮に熱心に祈ると、間もなく鷹は見付け出されて、無事手元に戻って来た。
その御礼のため、慶安3年(1650)に神殿を建てた。これが「鷹野神社」の名の起こりという。

(参考)昭和60年9月1日発行「郷土古賀の民話」(古賀町司書部会)

ご神木にまつわる話

五所八幡宮の境内には、周り五尺(150cm)以上もあるという樫のご神木がある。

宝暦七年(1757)、冬も終わろうとする頃、役人が来て、この木を船材にするため切ろうとしたところ、不思議にもお宮が恐ろしく震動して五日間も止まらなかった。
神様がお怒りになったのだろうと噂されて、役人もついに木を切ることを止めたという。

(参考)昭和60年9月1日発行「郷土古賀の民話」(古賀町司書部会)

施設情報

施設名五所八幡宮
所在地古賀市青柳1687
TEL092-942-2344
利用可能時間
閉館日
Webサイト
駐車場
地図

 

【記事を書いた人】
初代編集長 戸田 ハイパーローカルメディア古賀すたいるの編集長をやってます。 古賀に特化した、古賀の人の役立つ情報を発信しながら、 市外の方にも、古賀の魅力を伝えて、しってもらいたいと思ってます。 読書会、手帳カフェ、まわしよみ新聞を定期的に開催してリアルとも つながる、場づくりを実験中。現在は大阪在住。 【趣味】読書。有川浩から紫式部まで。ライフハック系までなんでも読みます。 【好きな言葉】出会いは偶然、恋は必然。

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