【第4回】畦町宿(福津市畦町)古賀イマゴロ 唐津街道 赤間宿から青柳宿へ【となりまち】

 

須賀神社への参道前から「西構口」(「青柳宿」側)の方を見る。

 

畦町宿は、青柳宿から現在の道路(県道503号)を歩いて約2時間ほどの隣りの宿。

この畦町からは、8世紀半ば(奈良時代)の瓦が見つかり、長さ二十間(約36m)にわたる建物の礎石が江戸時代まで存在していたなどから、「古代官道の駅家」があった可能性があるのだとか。

「駅家(うまや)」は、都と地方をつなぐために国が建設した古代官道に沿って、約16Kmごとに置かれていて、この隣りが「席打駅」(古賀市)になるそうです。

なかなか面白そうな所なので、旧宿場内を「東構口(「原町宿」側)」から「西構口」(「青柳宿」側)へと歩き回ってみます。

「西構口」(「青柳宿」側)へ進んだ所(左側)にある、須賀神社への参道。
須賀神社は、本来は疫病神の午頭天王と素戔嗚之尊を祭る神仏習合の信仰でしたが、明治の神仏分離令によって素戔嗚之尊だけが祭神になっています。
その後も毎年祇園祭(疾病神を慰め疾病を防ぐ)神事が行われ、「お祇園様」として親しまれているそうです。

須賀神社の鳥居と大正期建築赤煉瓦造の養蚕組合「蚕籠燻製場」(蚕の幼虫を入れる容器を硫黄で燻蒸消毒し無菌化する施設で、復元されている。)

須賀神社の横にある祇園様池。
昭和30年頃までは防火用水・種籾用の池だったそうですが、現在は「ほっとするまち畦町」作りの原点の池「畦町ビオトープの池」として復元されています。

畦町周辺地図

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【記事を書いた人】
千鳥ヶ池のめだか 街歩きと歴史探訪の記事が得意。古賀の歴史を様々な視点から伝えています。

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