大根川の多自然川づくり。川の営みと人の営みが重なる場所が、より親しみやすく生まれ変わろうとしています。

古賀市役所の裏側にあたりを散歩していると、大根川の旧河道部分で何やら工事をしていました。

場所はこのあたり。

大根川は、福岡県庁の管理する二級河川なので、工事は福岡県庁が主体になって発注しています。実際の工事作業は建設会社さんが請けて実施されています。

県が実施するのですけれど、上流から下流まで、川が流れているのは古賀市ということで、工事の内容づくりなどは、古賀市の建設課さんがかかわっています。また、学術的な整理や客観的な視点の確保のために、古賀市と九州大学の協定に基づき、九州大学の河川工学の研究室の皆さんが計画づくりに参画しています。

(6月10日には、現地説明会的なワークショップが開催されていたそうです。行けばよかった(^^;;

そうした丁寧な実態調査と計画づくりを踏まえて、多自然川づくりとしての水辺づくり・親水空間づくりが始まった…ということのようです。工事はもう少しかかるみたいですけれど、数年後に、ここを舞台に生きものに関する学びや水辺で過ごす楽しみが広がるわけですね。

2015年冬には、冬を迎えつつある生きものたちの暮らしを九大の河川工学の学生・教職員のみなさんが古賀の子どもたちにわかりやすく解説してくれていました。

工事をするなかで、もしかしたら犠牲になった生きものたちもいるのかもしれませんが、そうした命を受け止めながら、これから人間として古賀の川とその生態系を大事にしていきたいなと一市民として思わずにはいられません。

旧河道って

冒頭、さらっと「旧河道」って書きましたが、かつては大根川の川の流れは今回の工事をしているところが本流だったってご存知ですか。私は最近まで知りませんでした。

戦後すぐの昭和22年の航空写真はこちら。

同じ写真のうえに、おおざっぱに現在の川の流れを重ねてみますと…

なんということでしょう、思いっきり川の流れが変わってます。

(それも驚きだけど、川ぞいは一面の田んぼですね。市役所付近の2か所のデイリーストアももありませんし、市役所東側のほうはデイリーストアどころかそこにつながる道すらありません。)

この航空写真ののちの昭和28年。6月4日から降りはじめた雨は29日まで続き、古賀で最大の水害となりました。死者10名、行方不明者5名、住宅24戸が全壊、床上浸水1403戸、橋梁も24流されたとのこと。それから数年後に、河川の氾濫を防ぐために治水工事として川の流れを現在の形に変えたそうです。

現在では、その治水工事のおかげで川のそばでも住宅地など建物を建てられるようになり、古賀の人口も大きく増えました。川の流れと人の暮らしの両立を図った先人の英知には感謝ですね。

【記事を書いた人】
千鳥足 大人の事情で、顔出しNGでしたが、いったん解禁しました。けど気が変わってやっぱり顔出しNGに戻る。 徳島県生まれ・福井県育ち。幼稚園から高校まで古賀にいたあと、茨城とか東京とか長崎とかで過ごしたのちに古賀にUターン。 趣味: 読書。遠藤周作とか吉村昭とか阿川弘之・阿川佐和子とかが好き。 お酒飲むのも大好き。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください